私は13年ほど中学生を指導していますが、その前は4年ほど学童野球を指導しました。それより前は大学や社会人野球の選手を対象に投手の指導を非常勤で行っていました。「選手のモチベーション形成」は指導する年代によって指導者のやることが異なります。
小学生の場合は経験値が低いので、自分でモチベーション形成することは難しいです。そのため指導者や保護者ができるだけ前向きな言葉をかけたり、「よくなっている部分」に目を向けてちゃんと評価してあげることで選手は前を向くようになります。これは「喜怒哀楽」の中も「喜」「楽」の感情は作りやすく、その後の行動に結びつきやすいからです。
しかし闇雲に「褒めればいい」というものでもなく、「何がどうよくなっているか?」「今後何をどうすればもっとよくなるのか?」を丁寧にコミュニケーションすることが重要です。「褒める」は物事の肯定的な側面に着眼するという意味では良い側面もありますが、「褒める」をインセンティブにした指導方法が行き過ぎると、選手は「褒められること」を目的に行動してしまうので注意が必要です。学童野球の指導者時代に選手が「コーチ、これでいい?」と聞いてきて、何事にも私に「褒められること」に重きを置いた態度になってきたのでこれはまずい、と感じた経験があります。
「褒められようとする」「叱られないようにする」は指導者の顔色を見ていることには変わりないので、本質的には同じです。
私は「褒める」「叱る」の行為自体は指導の本質ではないと思います。
・「褒めてまで」「叱ってまで」選手に伝えたいことは何か?
・褒めた後、叱った後にどんな行動を期待しているのか?
・指導方法として「褒める」「叱る」「諭す」どれが最も適切な場面なのか?
といったことが重要だと思います。これは指導対象となる選手が何歳であっても根本的なことは変わらないのではないかと思います。
私自身、そんな頻繁に声を荒げて選手を叱るタイプではありませんが、「これは叱らないと伝わらない」と思った時には叱ります。選手に尋ねたことはありませんが、恐らく私のことを「そんなに怒らないけど怒ると怖い」と思っているのではないでしょうか?
「人間は感情の動物」です。「喜怒哀楽」その全てがその後の行動を支えるエネルギーとなります。その場に相応しい感情を造り出すことも大事な事です。選手は「嬉しい時は嬉しい」「悔しい時は悔しい」とその場に相応しい感情を造り出すことで次の行動が最適化されます。幼少期から「適切な感情を造り出す訓練」はしたいものです。
「指導者にやる気を出させてもらっている」という状態は他人に感情をコントロールされていることになりますので、中学生くらいになるとあまり好ましい状態ではありません。私は選手に以下のようなことを言っています。
三流選手・・・他人のモチベーションを下げる選手
二流選手・・・他人にモチベーションを上げてもらっている選手
一流選手・・・自分でモチベーションを高めることができる選手
超一流選手・・・自分だけでなく他人のモチベーションも高められる選手
選手には常日頃から「やる気は自分で創りなさい!」と指導します。
中学生も1年生だとまだモチベーション形成がうまくできないので、大人が少し支援してあげる必要があります。1年生の秋くらいまでは指導者や保護者の支援を受けながら「自分でモチベーションを創るための考え方」を訓練し、冬のトレーニング期間を乗り切ることで自分に自信をつけて、「中学生らしい選手」になっていきます。
中学生と小学生の指導は全く異なります。
指導者がここを履き違えて「優しい指導者=良い指導者」と勘違いしてしまうと、指導する選手は「喜」「楽」でしか行動できない「幼稚な中学生」になってしまいます。
