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東横ポニーBayWinds監督・廣川のBlog

中学硬式野球の現場から見た少年野球に対する指導者の想いを綴っています。
​東横ポニーBayWindsは東京・横浜・川崎を中心として活動する中学硬式野球チームです。

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「意味がない」は自分の可能性を閉ざす言葉

うちのチームは中学生を対象とした野球チームです。

当然ながら選手に要望することも小学生よりも高度になります。

「高度な要望」とは「技術的に難しいこと」という意味ではありません。もちろん最終的には小学生よりも上手くならないといけないのですが、野球初心者の中学生に最初から野球経験者の小学生よりも「上手くプレーしろ!」と言っても無理な話です。私が言う「小学生よりも高い要望」とは取り組みに対する考え方の問題です。


私はよくうちの選手に「他人にやる気出させてもらっている間は三流選手」という話をします。ここが小学生と中学生の間にある大きな違いだと思います。


小学生の場合は指導者が「野球の楽しさ」を教え、困難に立ち向かって行くための後押し(時にはご機嫌取り)をしながら前に進んでいきます。時には「意味がない!」と言う子に対して、「この練習にはこんな意味があるんだよ」と教えながら前を向けるよう支援することが必要です。


しかし中学生になると、最初から「意味がない!」と拒絶するのではなく、「自分で意味を見出す」もしくは「自分で意味を造る」という行為が必要です。まぁ、まともなチームであれば「意味のない練習」なんてそうそうありません。探せば意味はあるものです。しかしそれを「意味がない!」と言ってしまうのは、意味を考えること自体を放棄していることが原因です。酷い場合には自分がやりたくない練習メニューに遭遇した時に、「やりたくない」を正当化(要するに言い訳です)するために「意味がない!」という言葉を使っているケースもあります。


私が小学生の頃に所属していたリトルリーグはとても練習が厳しく、指導者も厳格だったので「意味がない」なんて指導者に言うことすら難しい環境でした。でも「意味があるのか?」と疑問を持ちながら練習に取り組むとつまらないし、厳しい練習が余計に辛く感じるので、ある日を境に私は「意味があるかどうか?」を考えることをやめました。


「意味はきっとある。どんな意味があるかはやりながら考えよう。」


と思うようになると、練習中に「もっと本気でやれば意味がわかるのでは?」「こうやったらもっと効果が高いのでは?」など、試行錯誤することで自分なりに意味を見出せるようになり、厳しい練習も前向きに取り組めるようになっていきました。


うちのチームは毎週土曜日は河川敷で地道な基礎練習です。

例えば守備練習をやっていても「こんなイレギュラーの多い場所で守備練習して意味があるのか?」と思いながら練習する選手よりも「このイレギュラーを何とか攻略したい!」と思って練習する選手では守備の上達速度に大きな差が出ます。


「意味がない」は自分の可能性を閉ざしてしまう言葉なのです。

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