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東横ポニーBayWinds監督・廣川のBlog

中学硬式野球の現場から見た少年野球に対する指導者の想いを綴っています。
​東横ポニーBayWindsは東京・横浜・川崎を中心として活動する中学硬式野球チームです。

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「認められる」ということ

  • 4月9日
  • 読了時間: 3分

我々のチームはポニーリーグに所属しています。

先日、リーグの関東選抜チームの選考会があり、うちのチームからも1名の選手が関東選抜チームに選出されました。本人の努力が認められたことは大変喜ばしいことです。


「選ばれる」とは「認められること」でもあります。


評価者が被評価者を見て評価する。

被評価者から見れば評価者という相手もあることなので、自分の思い通りにならないこともあります。自分が得意な要素を評価者は重要な要素だと思っていなかったとか、自分が軽視していたことを評価者が重視している場合もあります。自分よりも相対的に見てもっと優れた選手が居たなど、自分の思い通りの評価が得られないこともあると思います。またはチーム編成の構想上、求める選手像が異なっていることが原因の場合もあります。大砲を並べたい監督も居れば、スモールベースボールを標榜する監督もいます。これらに対して「評価がおかしい」と腹を立てるのはお門違いにも思います。何を重視するかは評価者が決めることだからです。


私は「認められること」を目標に置くこと自体があまり良いことだとは思いません。前述の通り「評価者」という相手のあることなので、自分の努力ではコントロールできない要素もあります。自分でコントロールできないことを目標におくと目標達成率は低くなります。自分がコントロールできないので他者に依存したり、上手くいかなくてもその原因を他責に持って行こうとするようになります。


「明日は絶対に天気を晴れにする」なんて目標を置く人はいないと思います。なぜなら人間がいくら努力しても天気をコントロールできないことは誰でも知っているからです。


私はよく、選手に「俺に認められることなんて大した問題ではない」と言います。

仮に私が「良い選手だ」と思ったところで、評価者が変わった時に別の評価者が同じように「良い選手」と評価するとは限らないからです。これは「どちらの評価者が正しいか?」という問題ではありません。「日本語と英語はどちらが優れた言語か?」という比較をしているようなものです。「両方喋れた方がいいよね」という話でしかありません。


「代表選手」の選考は複数ポジションをこなすことが要求されたり、サポート体制が手薄な中での遠征で「率先して雑用などを引き受ける」など、チームに対する献身的な活動も求められます。こういうものは一朝一夕でできるものではなく、普段からどれだけ真剣に取り組んでいるかによってクオリティの差が出ます。普段から荷物の運搬やグラウンド整備などの雑用を率先してやっている選手は手際も良いですし、他人が困っている時にも自らの経験に基づき他人にアドバイスができます。普段から雑用を他人に押し付けて逃げ回っている選手は「認められたい」と思ってその場だけ頑張っても必ず綻びが出ます。


これは保護者の皆さんにもご留意頂きたい部分です。

お子さんに「レギュラーを獲れ!」「選抜チームに選ばれろ!」といった「選ばれる」を目標に置くような育て方をすると、子どもは物事がうまくいかなかった時に言い訳が多くなったり、「評価者がおかしい」など他責志向になりがちです。他責志向は子どもの自立を遅らせる要素になります。


好き嫌いなく、何事に対しても全力で努力する。

そうすると広範囲に能力が高まり、”結果として"より多くの人に認められる確率が上がる。選り好みをしている選手に対する評価は評価者によって異なる確率が高くなります。


しかし「評価」はあくまでも本人の能力が高まった時に副産物的に得られるものであって、それ自体を目標にするものではないと思います。


 
 
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