苦しかった思い出は、それを乗り越えた時に自信となり、それが記憶として深く刻まれるものです。昔はよくあった「先輩からの厳しいご指導」も乗り越えたからこそ笑って話せますが、挫折してしまうと「振り返りたくない過去」になります。
これは「昔は良かった」といった懐古主義的な話でもなければ、チーム内における暴力や体罰を容認する話でもありません。成功体験は「頑張って乗り越えた」というプロセスが必要という話です。そして仲間というのは、「苦楽を共にした」「苦しい場面を一緒に乗り越えた」という経験がその絆を強くするものだと思います。
私も昔の仲間と今でも会いますが、当時の話といえば、「きつかった練習メニュー」「怖かった先輩」などが多いですね。でもその話を笑って仲間と話せるのも、「一緒に乗り越えてきたから」こそだと思います。
さて、今は12月。野球界はシーズンオフでトレーニング期間です。
トレーニングの主目的は「体力向上」「身体能力向上」を通じて、最終的には「競技能力の向上」に繋げていくことだと思います。私は普段から選手に対して「最終的に野球が上手くならないと意味がない」と伝えます。トレーニングメニュー1つとっても、「メニューを消化すること」を目的とするのではなく、「メニューに取り組むプロセスを通じて体の能力を高め、それがプレーに反映されること」を見据えて取り組むことが必要です。先を見据えて目の前のことに取り組めば、トレーニングの質も上がります。
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『トレーニング』自体を目的化しない
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これは、ずっと言い続けてこそチームに根付く考え方だと思います。
トレーニングにはもう1つ大事な目的があります。
それは「仲間と一緒に頑張った経験」です。
これは「みんなで集まって和気藹々と」という意味ではありません。「仲良く和気藹々」だと普段遊んでいるのと何も変わらないのであまり記憶に残らないのです。「真剣に」「競い合いながら」「自己の限界まで」頑張る経験が必要なのです。
私は中学1年生の時に一度だけ冬の練習を故障で離脱したことがあります。翌年の春に故障が癒えて復帰したのですが、「冬を一緒に頑張っていない」という負い目は翌年の冬季トレーニングを乗り切るまで続きました。
そしてトレーニングは「体を鍛えるため」だけなら、1人でもできます。
みんな集まっているのであれば「みんなでやるからこそ意味があること」をやってこそのチームだと思います。「一緒に頑張る仲間がいる」「一生懸命やった時、讃えてくれる仲間が居る」「目の前にライバルがいる」など、チーム練習にしかない良さがあります。
私は野球選手にとって冬練は重要な「プライドの根拠」の1つだと思います。
野球選手にとって「技術」「体力」「自信」「本物の仲間」など、多くのものが得られる冬であって欲しいと願っています。そしてより多くのものを得るために必要なことは「本気で取り組むこと」だと思います。
Let's go all out!(本気出そうぜ!)