私の幼少期、我が家には父が決めた「掟」がありました。
友達が持っていない物は買わない
私の実家は周囲の家よりも大きめで、実家が事業をやっていたこともあって、近所からは「裕福な家庭」という見方をされていました。そのため周囲からの嫉妬の対象にならないようにと父が考えたのだと思います。例えば絵を描くときに使う絵の具も友達は「24色」などを持っていましたが、私は12色の絵の具を混ぜて色を作って使っていました。そのことで特に劣等感や引け目を感じることなく、友達と一緒に「どの色を混ぜれば欲しい色が作れるか?」を考えながら絵の具を混ぜていたのも楽しい思い出です。
現在、うちのチームには「特別な道具」はありません。
むしろ物資は不足気味です。練習で使用する帽子やヘルメットの額についているロゴは自分たちで貼り付けたり、バットやヘルメットのケースにチームのマークを装着するのも保護者の協力を得て行っています。
「不便を楽しめるチームでありたい」
これは私がチームを運営する上でのひとつのこだわりです。
「あれがない!」「これがあれば・・・」と現状を憂うことは簡単です。思うような結果が出なかった時の言い訳としても格好の材料です。言い出したらキリがないんです。
グラウンドがあれば。。。
道具や活動予算が潤沢にあれば。。。
選手たちがもっとパワーがあれば。。。
最初から能力の高い選手がもっとくれば。。。
こういうことばかり考えていると心が荒むような気がします。
うちの選手たちはその辺、とてもメンタルがタフです!
河川敷で練習していても「室内練習場よりもこっちの方が楽しい」と言って喜んで練習しています。ティー打撃は河川敷の通行人への配慮から川沿いにネットを立てた上で川に向かって行いますが、川にボールを打ち込まないよう慎重に、それでも強い打球を打とうと頑張っています。通行人に配慮して練習を行っているため、以前よりも周りを見て練習に取り組むようになりました。私が壊れたトレーニング器具を修理していると「その修理、今度は僕がやってみたいです!」という選手もいます。
制約の中で活動をしていると、「できない理由」よりも「できる方法」を考えて行動した方が楽しいということを活動の中で学んでいます。 逆にこれを「面倒くさい」と思う選手はうちのチームには来ないですね。
予算が潤沢にあるわけではないので負け惜しみのように聞こえるかも知れませんが、高価な最新の道具を使うことで満足感に浸って向上心を失ったり、優越感に浸って弱者を思いやる心を忘れてしまうよりも、仲間と一緒に知恵を絞って「不便を楽しむ心」を育んだ方が、より心豊かな人生になるのではないかと思います。
