何かを手掛ける時、そこには「目的」と「手段」があります。
「目的」は「何のためにやるか?」であり、「手段」は「どうやってやるか?」でその成り立ちが違うのですが、大人の世界でもこの2つは混同されることがよくあります。どうして目的と手段は混同されてしまうのでしょうか?
「目的」を形成する要素の大半は「欲求=想い」です。
「勝ちたい」「ヒット打ちたい」「三振取りたい」など、その多くは本人がどうしたいかによって形成されます。
一方、「手段」は目的を達成するための方法論ですが、世の中で大抵のことにおいて手段は1つではありません。数ある手段の中で1つを選択する時には「成功する確率が高い」「失敗や被害を被るリスクが低い」という観点で選択されます。「確率」ばかりを求めると「手段」に対する意識が高まり、それが過剰になると「確率を上げること」が目的化してしまって、「手段の目的化」が起こります。「手段の目的化」が常態化すると、目的の達成に対する意識が低下します。
目をグラウンドに向けてみましょう。
グラウンドでは指導者が選手を「指導」します。指導者が選手に対して「フォーム」に関する指摘や指導をしている場面を見かけることが多いのではないでしょうか?「フォーム」を教えていると周囲からも「熱心に指導してくれている」と感じやすいでしょう。最近は理論的に野球の技術を語る指導者が好まれます。

でも、「理論」の大半は手段の話なんですよね。
指導者は理論ばかりを語りすぎると、選手の興味関心が「方法論」に寄っていきます。「手段の目的化」は指導者が引き起こしているケースもあるのです。選手がしっかりと「目的意識を持ってプレーできる選手」になるためには、理論だけではダメなんだと思います。
私は「何をしたいか?」という発想から抜け出さない限り方法論の罠にハマるように思います。発想を変えて「何をしたいか?」ではなく「どうなりたいか?」イメージすることで目的意識が形成されるのではないかと思います。逆になりたい姿もなく、特にポジティブな感情を持たずに練習を消化することが目的化してしまうのではないかと思います。
でも「メジャーリーガーになりたい!」と言ってるだけで自動的になれるものでもありません。そんなに甘い世界でないことは大抵の方ならお分かりになると思います。
メジャーリーガーになるにはどんな要素が必要なのか?
野球が上手いだけでメジャーリーガーになれるのか?
英語は話せないとダメか?
どうやったらMLBのスカウトに注目してもらえるのか?
足りないものは大人になれば勝手に身につくものなのか?
今日から努力できることはないのか? etc
この具体化の作業は保護者の方も選手をサポートすることができます。「どうしてメジャーリーガーになりたいんだっけ?」「どうすればなれると思う?」「今日から何する?」といった会話を積み重ねていくだけでも、お子さんの今後の行動プランが具体化していくと思います。
小学生のうちは周囲も「メジャーリーガーになりたいんだって!」と笑って見守るくらいでもいいと思いますが、中学生になると「できるorできない」を判断する前に上記のような「なりたい人になるための行動の具体化」に取り組みたいところです。
中学生が小学生よりも「大人に近づく」というのはそういうことだと思います。