指導者の大事な仕事として「選手の評価」があります。
指導者が選手をどのように評価するか?これはチームの佇まいを決める上で重要な要素になると思います。

20年近く野球指導に携わっていますが、評価の基本方針は「信賞必罰」だと私は思います。「良いものを正当に評価する」「ダメなものは率直にダメ出しをする」。これをブレることなくやり切ることだと思います。なぜならば「評価」というのはフィードバックされる本人のためだけではありません。チーム全体に影響するものだからです。
例えば指導者がみんなの前で特定選手に評価を伝える場合はとても責任があります。
その評価は当該選手に対してだけでなく、チームにおける評価基準の1つになるからです。指導者はその本人にだけ伝えたつもりでも、他の選手も「あれでいいんだ」「あれじゃダメなんだ」と自分が取り組む際の基準となります。だからみんなの前で特定選手を褒める、叱るに対してはとても思慮深く行う必要があります。「褒める」「叱る」がチーム全体に対してどんな影響をもたらすのか?そこに対する思慮が浅いと「ちゃんと見てない」「贔屓している」という風に見られてしまい、選手からの信頼を失います。
評価を行う際には「文脈」がとても大事だと思います。
ここでいう「文脈」とは、その場の評価だけでなく、「評価に至るまでの前段階」を詳細に吟味し、「評価を伝えた後の効果」などを想定して「評価」を伝えることです。場当たり的にその場の感情で「お前はダメだー」と言ったり、再現性の低いプレーに対して安易に賞賛の言葉を贈るなど、「評価に至る前段階」の見立てを疎かにすると、間違った評価を下したり、その後の選手の取組に対して悪影響を及ぼすものになってしまいます。
評価とは「過去を裁くため」のものではなく、「未来を創るため」のものです。
未来を良くするためには「褒めて更に進化させること」「叱って改善を促すこと」どちらもあります。叱る時も「これがダメ」で終わるのではなく、「このままだと絶対に(もしくは相当高い確率で)良くならない」といった要素が必要だと思います。
評価するだけであれば「指導者のための指導」、未来につながるフィードバックができてこそ「選手のための指導」になると思います。
指導者は「選手を評価する」と同時に「自分も選手に評価されている」という真摯な姿勢が必要だと思います。この真摯な姿勢を忘れてしまうと「(俺がやっているから)選手は喜んでいる」「(俺が言ってるから)選手は納得している」という独りよがりな指導者になってしまいます。そしてレベルが高い選手ほど指導者をシビアに評価しています。