ちょっと今日は小難しい話です。すみません。
皆さんにとって「自己満足」という言葉は、良いイメージですか?それとも悪いイメージでしょうか?一般的には「自己満足」という言葉はどちらかと言うと悪いイメージではないかと思います。
それは「自発的に抱く志しは低く設定されがち」ということが前提となっていて、もっと高みを目指してもらいたいという想いから、そういうイメージが形成されているのではないかと思います。
一方「自己満足」と対極にあるのは「他者評価」です。「他者に認められる」というのは良いイメージを抱く人が多いと思います。しかしこれも「他者が善良である」という前提があるからこそです。
つまり邪悪な人に囲まれた中での「他者評価」よりも、高邁な思想を持った人の「自己満足」の方が結果の質は高いという現象が有り得ることを意味しています。
「だから良質な目標を指導者が設定するのだ」という意見もあると思います。良いと思います。選手が自分の手のうちにある間は。選手はやがて指導者の手を離れていきます。そしてやがて「自律した大人」にならなければなりません。
「自律」とは「自らを律すること」です。他者評価に一喜一憂している人は、「自らを律する基準」を他者に委ねている状態なので、「自律」とは呼べないように思います。自律した人間を育成していくためには「良質な自己満足」を形成することが重要だと思います。
私は投手が投球練習をしている時、目安となる球数は設定しますが、予定の球数で終了するかどうかは本人に決めさせています。指示しているのは「最後に一番良い球を投げて終われ!」ということだけ。納得いかなければ何球も投げている投手も居ます。「良い球を投げたい」と本人が渇望する状態にならなければ、指導の効果も薄いと感じるからです。
どうすれば選手の「質の高い『自己満足』」を形成できるのか、これからも試行錯誤が続くと思います。