前回、「練習の「やらされ感」とは、練習メニュー決定の主導権を誰が持っているかはあまり関係なくて、選手の練習の取組姿勢によって決まるもの」ということを書きましたが、では選手が「やらされ感」を感じず、能動的に取り組むためにはどんな要素が必要なのか?
指導者「それはやはり指導者が練習の意義から説明して・・・」
となるのですが、これは選手を「説得」しているだけで、必ずしも納得しているとは限らない状態ですね。そもそも「説得」「納得」の違いは???
そもそも「説得」と「納得」ではその主語が違います。
選手目線で言えば、説得は「されるもの」、そして納得は「するもの」です。
「やらされ感の払拭=納得感の形成」と言っても過言ではないでしょう。
指導者「だから選手が納得するように意義を説明して・・・」
昔は私もそう思っていました。
でも事前説明だけで選手のやらされ感を払拭するのはほぼ無理なんです。
もうちょっと詳しく説明します。
選手に練習メニューを課す時、「事前」「途中」「事後」で指導者はやることが異なります。この3つを分けて説明します。
●事前・・・「目標設定」の納得感が重要
練習には必ず、「目的」や「目標」があると思います。これがなければ単なる時間潰しです。本人の課題と照らし合わせた上でその練習の目的が課題克服に必要であるということの納得感、そして課される目標の妥当性が重要となります。「キミは●●が課題」と告げた時にそこに本人の納得感がなければ、その後のコミュニケーションが成り立ちませんので、普段から選手を観察して、「具体的な事実」に基づいて課題提示をする必要があります。
目標設定においては「課題克服」と「目標」の因果関係を説明し、目標が「頑張れば届く」というイメージをもたせながら会話することが必要です。
観察が不十分な場合や普段からの会話が少ない場合は、「これが課題だ!」と選手に告げたところで「何言ってるの?」となるので、注意が必要です。
この「課題認定」と「目標設定」で合意が「やらされ感」の払拭に大きく影響します。
●途中・・・とにかく「観察」すること
選手が物事に取り組む時、当然ながら「上手くいく時」と「上手くいかない時」があります。指導者は結果だけで一喜一憂するのではなく、「この良い結果は再現性があるのか?」「上手くいかないのは何が原因か?」など、考察をしながら選手を観察することが重要となります。観察は「できるだけ細かく」です。「ここまではいいのに・・・」といった部分的にはできている場合もあったりするためです。この注意深い観察こそが前工程の「目標設定」や事後の「評価・フィードバック」に効いてきます。
指導者は「観察すること」が一番重要だと私は思います。
●事後・・・適切かつ具体的な「評価」が重要
取り組みの後の「評価」および「フィードバック」も大切です。「やっとけ」と練習を課すだけで評価を行わないのは次回以降「やらされ感」を感じやすくなります。
途中工程で注意深く観察した結果を「できるだけ細かく」「具体的に」評価してフィードバックすることが必要です。「良かったよ」ではなく、「何がどう良かったのか」です。このフィードバックの具体性が選手の納得感だけでなく、選手のプレーに対する思考力を高めます。細かいことを指摘する指導者の元では細かいことまでいろいろ考える選手が育ちます。この適切なフィードバックは「やって良かった」という取り組みに対する満足感を形成します。ここが不十分な練習を繰り返すと、いくら目標設定をちゃんとやっても「やらされ感」は残ってしまうのです。
「自主性」って大人が思っている以上に難しいのです。
「細かいことは気にせず、自由にやらせた方がのびのびと育つ」と言う指導者もいらっしゃいますが、私は必ずしもそうだとは思いません。小中学生の場合、何から手をつけて良いかわからない選手もたくさんいるので、きっかけを与えるためにも「こんな風にやってみて!」とある程度具体的な要求をした方が癖を直す時などは有効です。
「わからなければ聞けばいい。聞かれるまでは何も言わない。」と言う指導者もいらっしゃいます。競技経験の浅い小中学生は「何でも聞いて」と言ったところで「何を聞いていいかわからない」という選手はたくさんいます。「聞かない」のではなく「聞けない」のです。そこをわかっていないと選手との関係構築はうまくいきません。
こういう指導者は、本人は「自主性を尊重している」と思っているかも知れませんが、「自分は指導者に放置されている」と捉える選手も少なくないのです。